アンガーマネジメント
「もちきちさんって怒る事あるんですか?」
と、つい最近職場の方に言われました。
その前にも、また別の方から「もちきちさんってあんまり怒らなそう。」とか、「怒ってもそこまで激しく怒らなそうだよね。」とか、まぁ色々な表現でしたが、そういった類の言葉の数々を言われました。
早い話が、私という人間は客観的に見ると、怒りという感情をあまり持たなさそうな温厚な人間に見えるようです。
確かに、私はあまり怒りません。
というのは語弊があります。私だって怒りますし、頭に来る事とか苛立つ事なんて日常茶飯事です。
ただ、私はその怒りを外側に出す事はあまりしないというのが事実です。
どんなに頭に来る事があっても、心の中で「何だとコノヤロ」とか思いながらも決して口にはしないようにしています。
寧ろ、怒っている自分を自分自身で宥めて、怒りを鎮める事に尽力しています。
何と言うか、怒るのってエネルギーを使うじゃないですか。私はアレがどうも嫌で、怒るくらいなら別の事に力を注いで状況を切り抜けようって思ってしまうのです。
でも頭に来てる時はなかなか冷静にはなれないもの。
そういう時には、まず深呼吸をします。
それから、「怒っている自分」を客観視してみるんです。
外から見て、今の私はどう映っているのか?
もしかしたら、すごく子供らしく見えてしまうかもしれないし、無愛想でブスッとしている人に見えるかもしれない。
飽くまで妄想で良いのですが、大抵の場合は怒っている姿って良いもんじゃないので、あまり良いようには見えないと思います。
そう考えると「こんな風に怒っているのは止めよう。」と思えるのです。
そして冷静になれたら、「怒っている理由」を追求します。
自分をそう至らしめた理由を考えて、それを羅列してみます。
そうすると「今の自分はどうすべきか?」がだんだん浮き上がってくるのです。
自分が怒っているのには、こういう原因がある。けれどその原因を根本的に消す事は出来ないから、じゃあなるべくその原因に目を向けないようにしよう。とか。
自分なりの答えを見つけて実行するんです。
怒る事は悪い事ではありませんし、感情を持つ者なら誰だって怒りというものを抱きます。
だからこそ、怒りと上手に向き合っていく事が大切なんだろうなと私は考えます。
怒りの持つエネルギーは時に大きな力を持ち、潜在能力を引き出してくれるかもしれませんし、普段なら出来ないような事に果敢に挑む、その背中を押してくれるかもしれません。
怒りに溺れ、悪として認識するのではなく、怒りを味方につける事。
それが出来ればきっと今よりも寛大な心と余裕を手に入れる事が出来るのではないでしょうか。
こだわりを持つ事
良い言い方をすれば、こだわりが強い。
逆に悪い言い方をすると、頑固者。
私ってそういうところがあります。
と言っても、こだわりは誰にだってありますし、これだけは絶対にこうじゃなくちゃ気が済まない!みたいなのって、ありますよね。
例えば私の事で言うと、お財布のお札の入れ方一つをとっても、千円札の後ろに五千円札がくるようにとか、向きはきっちり揃えるとか。
これは所謂几帳面なだけかもしれませんが。
朝食は青汁とバナナとヨーグルトは絶対だったりとか、スケジュール帳のペンはフリクションの紫の0.5mm以外は使わないとか。
細かい事ばかりなので、とりあえず挙げ出すとキリが無いです。
要はそのこだわりが強すぎると「融通が利かない」とか「頑固者」だって話になるワケで、多少は必要なものなんだと思います。
話が飛躍し過ぎてしまうようですが、何のこだわりも持っていないと、アイデンティティの崩壊にすら繋がるような気がしてしまうんですよね。自らを形成する要素があれよあれよと変化してしまうと、自分を保つ事が難しいのではないかと。
「自分とは何者か?」を問うた時に出てくる答えが、常日頃のこだわりの中にある。
私はそう思います。
物欲センサー
欲しいなーと思うものを、欲しいなーと思えば思うほど、何故か自分から遠ざかっていってしまうような感覚、ご理解いただけますでしょうか。
何なんでしょうね、アレは。
全くもって不思議なものです。
で、諦めて必死に追い求める事を止めると、途端に容易に手に入るようになるという。
だから本当に手に入れたいものがあっても、そればっかりに没頭してなかなか手に入らないと苛立つより、まぁいつかご縁があったら手に入るだろう位の心構えでいた方が良いのかもしれませんね。精神衛生的にも。
とまぁ言うが易し行うが難し。
頭では分かっていても、欲しいものがあるとついついあの手この手を使って手に入れたくなっちゃうもんなんですけどね。
いや本当に不思議なものです。
左右盲
「左右盲」の方って、どのくらいいらっしゃるんでしょうね。
実は私もその一人なのです。
「左のボタンを押してね。」とか、「右上の引き出しに入ってるよ。」とか言われても、その左右が咄嗟に判別出来なくて、「えっと…」ってなっちゃう。
覚えている限りでも、小学生くらいの頃から私はそうでした。
全校集会で先生が言った「右向け、右!」が咄嗟に分からなくて、いつもワンテンポ遅れて右を向いていました。
大学生の頃に教習所で免許を取りに行っていたのですが、左右盲の私にとって路上教習はドキドキの連続。
「次の交差点で右折してください。」と言われて、「はい。」と答えながら頭の中はパニック状態でした。「右折?右ってどっちだっけ?!」
で、間違えて左のウインカーを出してしまって、教官の方に「右折ですよ。」なんて言われてしまったり。
(ちなみに免許は無事に取れました。)
冷静に考えれば私にだって、右と左の区別は付きます。
ただ、「咄嗟の」判断を求められると途端に分からなくなってしまうのです。
何でもない人にとっては左右の咄嗟の判断なんてどうってこと無い事だと思いますが、私のような人間には難しいものなんです。
左右盲というのは所謂俗語であって正式な名前とかは無いそうですが、これは立派な発達障害の一種。
なかなか発達障害というものは認知されにくいだけに、当事者である私も声を大にして言いたいですよね。
「当たり前」が当たり前に出来ない人間もいるんだと。
インプットとアウトプット
人生において、私は沢山の事を吸収しようと思っています。
例えば本を読んだり、色々な場所に出掛けたり。多くの人に会って、様々な景色を見て、美味しいものやそうでないものを食べて。テレビを観るのも、ラジオを聴くのも、どんな事でもとにかく経験をしてみる。
そこから何を、どのくらい吸収するかは自分次第です。
頭の良い人って、きっとこの「吸収する事(インプット)」が凄く上手なんだと思います。
同じ経験でも、そこからより多くを吸収出来るから、結果として沢山の経験値や知識を得る事が出来る。
そして、インプットを沢山していれば、それだけ沢山のアウトプットが出来るワケです。
話し合いの場とかで的確な意見を思いつけるような人は、日々のアンテナを高く張って沢山インプットをして生きているんだろうな、と思います。
私もそういう素晴らしいアウトプットの沢山出来る人間になりたいのです。だからインプットを沢山しようとしているという話です。
まぁでも、常にそうやって虎視眈々と何がしかを吸収しようと躍起になっていては疲れてしまいますので、程々に肩の力を抜くようにはしていますがね。
たまの休日くらいは何にも考えずにぼんやりとベランダで日向ぼっこをするとか、わざと思考を停止させて「これどう思う?」の問いに「うーんわかんない。」と答えてみるとか。
案外何となく生きていても、それなりに吸収出来るってもんです。それ以上の水準を求めなければ、何となくでも良いんでしょうね。
お菓子は心の栄養
小麦粉と卵とバター、それにたっぷりのお砂糖。チョコが入っていたり、油で揚げてあったり。
甘くてついつい食べてしまうお菓子達。
美味しいですよね。私も大好きです。
でも食べ過ぎたら太ってしまったり、肌が荒れてしまったりと、あまり良い事は無いものです。そうと分かっていながらも、食べるのは止められない。
私はお菓子という存在を、体には何の栄養も無くとも心には栄養満点なものであると考えています。
美味しいお菓子を食べている時って、心が満たされてとても幸せな気分になれるんですよね。
だから、太るとか肌が荒れるとか、そういう事を気にして我慢するよりも、適度に食べた方がずっと精神衛生的にも良いですし、我慢の限界でタカが外れてしまうなんて事も避けられると思います。
全くお菓子を食べないという方なら、それはそれで良いと思います。
ですが、お菓子を止めたいのに止められないとか、ダイエットの為に我慢をしているという方は、私のように考えてみるとお菓子を食べる事への罪悪感も軽減されるのではないでしょうか。
嗜好食品を食べる事は決して悪い事ばかりではなくて、精神の安定の目的があるのだと。
火事の夢
今日、住んでいるアパートが火事になる夢を見ました。
一階の部屋から出火して、大家さんの奥さんが「火が出てるから逃げなさい!」と私の部屋に駆け込んでくるんです。
で、一度は外に逃げるんですけど、部屋に残したインコを助けなきゃ!って思って、私は部屋に戻りました。
その時に、携帯とお財布もついでに持って、鳥かごを抱えたところで目が覚めたんですけどね。
何が言いたいかというと、こういう緊急時に自分はどんな行動を取ろうとするかって、その時になってみないと分からないから、夢であっても今一度考えてみる良い機会になったなと。
火事になっても大切なペットを助けようと火の中に飛び込んでいく無鉄砲さとか、携帯とお財布だけは持って逃げようとするちゃっかりしてるところとか。
思い返してみれば、あの東日本大震災の日もそうでした。
私の実家がある埼玉県は震度5強の強い地震に見舞われました。
あの日は高校の学期末テストの日で、ちょうど午前中にテストを終えて帰宅していた私は、部屋でのんびりとパソコンに向かっていました。
突然の大きな揺れに驚いて一度は表に飛び出した私でしたが、「そうだ!」と思い出し、余震の続く中で家に戻り、ペットのインコ達(当時は2羽いました)と携帯を持って再び逃げ出てきたのでした。
これから先の未来で、どんな災害や事故に遭遇するかは分かりませんが、きっとどんな時も私は同じような行動を取ろうとすると思います。
だからこそ、普段から自分が緊急事態に直面した時にはどうするべきか、をよく考えておきたいものですね。